世相を映す。
福田さんは、自身の戯曲集のあとがきの中で、
「ぼくはつねに、今日の上演のために作品を書いてきた。
すなわちそれはどれだけか不愉快な事情に耐え続けることを意味する」
と書いています。
「袴垂れはどこだ」が初めて上演された1964年。
高度経済成長期の真っ只中で、東京オリンピックが開催された年。
「成長」という名の変化に伴うエネルギーもまた学生運動・安保闘争の呼び水となり、
色々な意味で沸いていた時代。
僕はベビーブームが過ぎたあたりに生まれたので、戦後も安保も実感がありません。
ですが、数年前にここtptで赤軍がテーマのお芝居に出させて頂いた頃に、
学生達が新宿駅をジャックしている映像を見たときはとてもショックでした。
今思い出しても、ザワザワしてしまいます。
福田さんは大学卒業後に一時期新聞記者として働いていた時期があることから想像するに、
興味の方向としてジャーナリスティックなものが有ったのだと思われます。
それは劇作にやはり反映されてくるもので、
政治的な出来事を題材として扱っていることが多いようです。
ただ、今回の「袴垂はどこだ」を含め「真田風雲録」「オッペケペ」等の他作品を読む限り、
政治色の強い出来事はあくまで劇作の題材に過ぎず、
その中で起きる人間のドラマ性を演劇として立ち上げ、
歌や踊りがちりばめられた娯楽性のある作品を作り上げています。
演劇が持つメディアとしての特性は、時には作り手のの意図とは全く異なる反響を呼んでしまう。
当時のそういった活動を行っている人々からも色々とあったのですかね。
こでら