繋がっている。
再度年代と絡んでの話題。
1964年とはアングラの雄「状況劇場」が生まれた年と重なります。
正確には、1963年に唐十郎さんが「青年芸術劇場」を抜け、
「シチュエーションの会」を旗揚げし翌年に改名したとのこと。
因みに「青年芸術劇場」とは福田さんが参加されていた劇団。
この数年後、寺山修司さんが「天井桟敷」旗揚げし、
黒テント、早稲田小劇場と合わせてアングラ四天王の台頭。
アングラ演劇の黄金時代突入と相成ります。
実は寺山さんも福田さんと繋がっています。
当時の文化人等が集って結成した「若い日本の会」という社会派運動の団体で一緒だったようです。
皆さん著名な文化人同士ですから出会っていても不思議は無いとは思いますが、
アングラ演劇の源流の中にに全く作風の異なる福田さんがいたとは予想してませんでした。
受け継がれていく歴史と言うものの面白さを感じてしまいます。
日本の演劇史の一端を垣間見ることが出来たような気がして、
ちょっと興奮気味です。
新派→新劇→アングラ(第一世代)→つかこうへい登場(第二世代)→第三世代→現代口語演劇→現在?
門外漢の不勉強さ故、勘違いもあるかと思いますが、
近代の日本演劇の流れは大まかにこうなっているのかなと…。
二つの潮流は境界を生みます。
境界線付近というのは科学的観点から見た場合、
性質の異なる2相の構成要素が互い激しくにぶつかり合うため非常に不安定で、
常にエネルギーが高い場所です。
そういった場所には必ずドラマが生まれます。
福田さんは新劇とアングラの混ざり合いが始まった頃に「袴垂はどこだ」を執筆なされました。
歴史の境界線上で書かれた戯曲の持つ高いエネルギーを稽古の中で感じる毎日です。
こでら