TPT 演劇工場 シアタープロジェクト・東京 since1993: 2011年11月アーカイブ

本日は、舞台上の写真を幾つか。

ゲネ直前の様子。
黒子衣装を着つつ待機している女優陣とセット上でアップしている村人陣。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
僕もこの時は羽織、袴で豪華な衣装を着させて頂いておりました。
そんな格好で、緊張ピリピリムードの中、
何故のんきに写真を取っていたのかは…当人としても大分不思議です。
 
以下は、舞台全景、舞台奥階段、サイドの段差、客席の写真。
装飾は大分シンプルですが、舞台面に藁を敷き詰め、傾斜がかかっております。
その為、客席側の段差と舞台奥側の段差では高さが数十センチ異なります。
大分高いです。殺陣のシーン等は怪我には気をつけつつ、皆、緊張感をもって臨んでおります。
真っ直ぐ立てないので、俳優に常に負荷を与えることにより演劇的な効果を生み出します。
客席は…旧ベニサン椅子です。懐かしいと思われる方も大分いらっしゃるようです。
 
 
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流石にキレイに藁が敷き詰められております。
残り3ステージとなった現在では、歴戦の後を物語るが如くビンテージジーンズのようになっています。
本日からいらっしゃるお客様には違いを楽しんでいただければと。
 
 
 
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おびただしい数の照明が天井につられております。
無骨に並ぶ機械達。
床を這うコード。
家庭用ではあり得ないサイズの巨大スピーカー。
金属の持つシャープな空気感を身近に感じられるのもまたこういった小劇場のいいところです。


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音響さんと、照明さんのブース。
スタッフさん同士の会話はいつも、

「さっきの〇…◇ωを?μ∴τしといて」

位に聞こえます。
正直、複雑すぎて全く分かりません。

演劇というジャンルはそのものはアナログではありますが、その一部は本格的にデジタル化。
昔話を裏側から支えているのが最新鋭の機材達。
実際に劇場に足を運んだとき、そういった見方が出来ると、待ち時間がちょっと楽しくなりますよ。

こでら





本日は、稽古場津々浦々を覗いていきましょう。
まず、なによりとにかく広いんです。最大四十名近く同時に居てもこれだけ広いと問題ないのです。


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入り口からの全景。
因みに、まだ見えていない部分として左手に部屋が二つ。
右手に「男性陣の鏡前+ケータリング場+ミニ作業場」が有ります。

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ケータリング場です。
いつもコーヒーやらお湯やらお菓子やらいっぱい。


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沢山頂く差し入れ。数日後には、

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誠に感謝感謝です。

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こちらはミニ作業場。女優陣がなにやら作業中。
これ、本番中のどこかで使われます。どこかな~?

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衣装も沢山。ずらーっと並んでおります。
村人さんたちの衣装ですね、これ。

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最年少17歳の天音君。常にハイセンス。靴がとってもカラフル。
私服もオシャレ。末恐ろしい男です。

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こちらは本番前のミーティング風景。
村人さん達、真剣です。

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〆はうちのレディースショットで。
…最初は井戸端会議してる風景を撮ったのですが、何かやりたがりばっかりいたらしく。
まぁいいかと思って。楽しそうだし。

次回は舞台写真館といきますか。

こでら






tpt 81『プライド』の稽古が始まって1週間と2日が経ちました。出演者4名の小さなカンパニーで日々テーブルを囲み、役の深層心理を探り、物語を明確にしていくために本読みを続けています。

この劇は2つの時代を往復していくラブストーリーです。両時代にシルヴィア、フィリップ、オリヴァーという3人の人物が登場しますが、同一人物ではありませ ん。これをそれぞれ馬渕英俚可さん、須賀貴匡さん、山口馬木也さんが、その他3人の男の役を谷田歩さんが演じます。ウィットとユーモアに富んだ台詞、感情の機微やうねりが見事に表現される会話運びによって、1人の俳優さんのいろいろな顔が見られ、さすが俳優が書いた戯曲だなあと、まだ本読みの段階ですが、聴いていてうなってしまいます。

こちらによれば、作者のアレクシ・ケイ・キャンベルさんはアテネの生まれ。お父さまがギリシャ人、お母さまがイギリス人で、ご自身はアメリカのボストン大学で英米文学を学び、その後イギリスの演劇学校で演技を学ばれたそうです。長年、俳優として活動したのち、2008年、ロンドンで先鋭的な新作を長年発表し続ける名門劇場、ロイヤル・コート・シアターで『プライド』を発表し、イギリス演劇批評家協会賞の新人劇作家賞を受賞、作品もローレンス・オリヴィエ賞(Outstanding Achievement in an affiliate theatre)を受賞しました。

『プライド』は2010年にニューヨーク/オフ・ブロードウェイでも上演され、その後、アメリカ各都市やドイツ、スウェーデン、ギリシャなど、世界各地で上演が相次いでいます。

『プライド』についての作者のコメントを紹介しておきます。


──『プライド』はあなたの処女作で、2008年にロイヤル・コートで上演された後、様々な賞を受賞しました。まず、何にインスパイアされてこの劇をお書きになったのか、教えていただけますか?

スタート地点となったのは、"性の革命"を挟んだ二つのまったく異なる時代において、ゲイであるということは何を意味するのかを探求し、比較、対比してみたかったということです。まず考えたのは、1960年代、1970年代に社会や文化が劇的に変化したこと、特にその変化がゲイ・アイデンティティというものにいかに影響したかということです。が、考え始めて気づきました──いろんな意味で、今日存在しているものというのは、それ以前に消滅したものに対する非常に極端なレスポンスなのです:内密から公然へ、暗黙から露骨へ、すべて言外で語られていた状態からすべて過剰に語られる状態へ、抑圧されていた状態から すべてを当然とする状態へ。そこで私は、二つの異なる時代を比較するだけでなく、そのつながりを探り、遺産という感覚を探求しようとしたのです──一つの世代が前の世代から自己という感覚をいかに受け継ぎ、それを捨てて、自分たちだけの感覚を見つけようとするのかということです。最終的に私は心のどこかで、大きな変化をもたらしてくれた人々へのオマージュとして、彼らが何と闘ったのかを記憶しておきたかったのでしょう。彼らは偽善と、憎悪と、抑圧と闘ったのです。それが重要な部分でした。

── この作品について、読んだことのない人、観たことのない人に、あなたならどう説明しますか?

『プライド』は、人物たちが自分たちを追い立てる様々な力について、そこに何があるのかを発見しようとする劇です。そしてシンプルに言えば、ラブストーリーです。

(引用元)


アレクシさんは間もなく来日され、『プライド』日本初演の初日をご覧になる予定です。

明日からいよいよ立ち稽古に入ります。

錦糸町を歩いていると「550円」の中華系定食の看板が目立ちます。
この値段の基準は何なのか不明ですが統一事項なんですかね。
僕も何件かまわっていますが美味い店もあるので、
観劇のついでにお気に入りの「550円」定食を探すのもアリかと。

早いもので、既に中盤。
明日(…既に今日)はマチネ・ソワレ。
実はこれ、体力的には結構ハード。
終演後に真那胡さんが、

「俺、痩せたのかなぁ。」

と手鏡を覗き込みながら呟いておられました。
お客様に言われたのだそうです。
とにかく喋りっぱなしの役柄なので大変そうです。

全体としてもハードなシーンが幾つかありまして、女優陣の群舞もその一つ。
振付担当の伯鞘さんは稽古中ずっと、

「あたし、なんでこんなめんどくさい振付にしたんやろ」

なんて嘆いていたにも関わらず、
女優陣が振付を渡された次の日には全員踊れたのは驚きました。
皆様、流石でございます。
序盤の傘を使った力強い群舞と、
中盤でのこれまた真那胡さんを中心にしたセクシー(?)な群舞は見ものです。

また今回は時代劇ということもあり立ち回りが出てきます。
そこでは亨さん・千葉さんがこだわりを見せます。
僕も含め、皆細かく丁寧に指導を受けており、貴重な体験です。

特にラストの村人達と男の大立ち回りは必見。
迫る役人衆の降り注ぐ弓矢の中、
突きつけられる男の刃に怯え逃げ惑う弱き村人達。
ただ見つめることしか出来ない小菊。苦渋の選択を下すじいさま。
ほの暗くもエッジの効いた照明。
叙事とも叙情とも言い難い音響。
舞台上の効果全てが巧妙に且つ情熱的に絡み合い、艶っぽく輝いています。

いい作品に仕上がりました。
観に来てください。

こでら

先日はトリプルカーテンコールを頂く等、
好調に進んでおります「袴垂れはどこだ」。
最後まで真摯に取り組んで参ります。
この場を借りて謹んで御礼申し上げます。

さて、今回劇場として使わせていただいている、

「すみだパークスタジオ倉」

ここは倉庫業を中心に営む鈴木興産の敷地内にあります。
「倉」という文字通り、元々は倉庫。
現在はイベントスペースとして開放されています。
敷地内には他に大きなスタジオが複数あり「袴垂れ」チーム以外にも、
常時リハーサルが行われています。

倉庫というスペースの利用法として、イベント用に改造。
そのビジネスモデルに辿り着く経緯には社長の文化への熱い思いがあったようです。
下記に鈴木俊雄社長のインタビュー記事がありましたので、
リンクを張っておきます。

http://sumi-toku.iza.ne.jp/blog/entry/1946723/

「倉庫自体は文化を発信できないが、スペースをスタジオに改造して使ったり、
機材を預かったりするのには最適。地域文化を育てることも企業の責任だ。
文化の発展のために少しでもお役にたてればと思う」注)上記記事より抜粋

文化を愛する心を持った人達がいる限り、演劇の灯が消えることはないようです。

 

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こでら

いやーついに初日を迎えます「袴垂はどこだ」。
ゲネプロも終え、順調に本日の幕開きに向かって進んでおります。

あっつい感じの、男臭い感じ。
アホだったり、仲良しだったり、うるさかったり、情けなかったり。

「あぁ、男ってこうよね」

…ストーリーと関係するかどうかは置いておきます。
でもまぁ、若いイケメンからダンディーなおじ様までいらっしゃる我がカンパニーの芝居を観ていると、
そんな芝居にもなってる気がします。

初演当時は赤軍関係と比較された今作。
2011年度のお客様はどう捉えるのでしょうか。
戯曲を立ち上げるために試行錯誤を続けたこの一ヶ月。
観に来て頂いたお客様の心に何かが残ればそれに勝る幸せはありません。
毎回思うことなのですがその「何か」を規定は出来ません。
ただ、単に「何か」なのです。
人の心の複雑さ。
だからこその面白さ。
ドラマは尽きません。

では、今日すみだパークにてお待ちしております。

こでら

 「認知」

あーメロドラマで出てきそうな、あの「認知」ではないです。

「感じ方」とか「受け取り方」

に近いですかね。
認知うんちゃら学っていっぱいあるんですね。楽しそう。

なんでこんな話から始めるかと言うと、

「メタファー」

という単語ご存知でしょうか?
お芝居を観るようになるとそういった単語を聞く機会も増えるでしょうし、
創り手である僕らは其処と格闘するわけです。
日本語に直訳すると「隠喩」「暗喩」。
比喩なんだけど、ちょっと分かりづらくぼかした感じがする。
逆が「直喩」。はっきりと比喩だと分かるもの。
ここ位までは一般的かと思いますが…どうやら最近ではもっと僕らの物事の捉え方の深い所を指すようでして。
その「認知」って奴と大分深く関わっているのだそうです。

演劇の創作過程における視点のひとつとして、

「観る側にどう映るか」

というのがあります。
立ち上げた成果物が、
観客にどう働きかけるかってことを常に意識しております。
どういう風に「認知」してもらうか。
どうやったらそれが可能なのか。
そんなことばっかり毎日考えてる気がします。

…小難しい話になってしまいました。
がこれもまた、演劇創作過程における一部ということで。

下記は、僕の今年一番のハマリもの、twitterより引っ張ってきました。

「いつだって、見るべきものがなくなるなどということはけっしてないのだから、
君は足を使って出かけてゆくのだ。どこかにある現代の河原へ」 by 状況劇場

僕等のとこにも足を使って出かけてきて下さい。

こでら

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スカイツリーが大きく鮮明に見えます。
稽古場が移動した初日は地図を眺めながらの見慣れぬ道も、
気が付けば錦糸町の風景を観賞出来るほどに馴染んでいます。
日にちが経ったのですね。
元は稽古場だった楽屋も世間話で賑わうようになりました。

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いよいよ大詰めを迎えております我らがカンパニー。
出来上がったセット使っての舞台稽古。
照明、音響も本番仕様へと向けて最終整理。
抽象表現にも、リアルな空間にも耐える舞台美術。
キャラクター設定に合わせた遊び心溢れる衣装。
より鮮明に浮かび上がってきた世界観。
そしてそれを堅実に支えてくれる演出部スタッフ。

俳優達は稽古場で一ヶ月かけて研ぎ澄ま続けた自身のアンテナを頼りに、
舞台中に潜む数え切れない程の宝物を探し続けています。
それは創作の源である「想像力への刺激」。
いたるところで飛び跳ね、勃興するエネルギー。
巻き起こるカオスをしっかりと纏め上げていく千葉さん。
舞台上で起こる全ての事を利用してより力強い表現へと昇華させる。
そのプロセスだけでも非常に興味深いものです。
村人達が自由に活き活きと動き回る様を見て稽古の成果を実感しております。

メンバー一丸となって1964年に描かれた「袴垂はどこだ」を、
2011年のすみだパークに立ち上げようとしています。
初演をご覧になっている方も、福田善之ファンの方も、全く知見がない方も、
是非ともご覧になって頂きたい。

11月17日(木)より開演です。

こでら

セット設営と共に行われた衣装パレード。
そして、通し稽古。
日々進歩著しいフレッシュな面々を見ていると羨ましくさえ感じます。

真那胡さん扮するじいさまの台詞で。

「人間よろず色と欲」

この二つ、生きる為のエンジンなのですが、
それ故に傷つき苦労します。人間って難しい。

男と女の間にある決して埋まることの無い溝。
無性生物から有性生物へ移り変わってしまったが故の、
避け得ないドラマが湧く源泉でもあります。
物語を見守るように舞台上に立つ総勢20名の女優陣。
シーンごとにその姿を変化させ、
歌や踊りもさることながら、劇中での居方は演劇ならではの表現です。
時に冷たく、時に暖かい彼女達の目線。
女であり母であるということなのでしょうか。
永遠に子供である男達はきゃっきゃきゃっきゃと騒ぐばかり。

…あれ、この考え方が男目線なんですね、きっと。

女性はどう捉えているのでしょう。
所詮、男なんて女ありきの悲しい存在ですので大目に見て頂ければと…。

常にカンパニーの先頭に立つ真那胡さん、亨さんに支えられ、
沢山の女優さんたちに囲まれつつ、
活き活きとはしゃぎ回る七人の村人達。
千葉さんがまいた種が花開く稽古場。
千葉版「袴垂はどこだ」いい仕上がりです。

こでら

一がいっぱいの日ですね。ポッキーの日らしいです。
そして僕達は劇場入りの前日です。

森下のtptのアトリエから錦糸町のすみだパークに稽古場を移し、
はじめはとにかく広いなぁと思った稽古場も、
いつしかしっかりと座組みの本陣として機能しています。

稽古用の仮組みセット。
演出家席、スタッフさん席。
着替えやケータリング置き場。
俳優達、銘々の待機場所。
運ばれてくる機材、小道具、衣装。

決まってきた銘々の居場所達が教えてくれるモノ創りに向かって過ごした軌跡。

細かく細かく詰める作業を続けています。
広い稽古場では色々なグループに分かれて、
打ち合わせ、歌、殺陣、ダンス、台詞…様々な物事が進行中。

「舞台はホットプレートだ」

と言った演出家がいましたが、
それは舞台セットの中だけではなく、
公演を支える全てが常に流動していることを含めてもいいんじゃないですかね。
うねるエネルギーの中心にしっかりと立つ我らが千葉さん。
千葉陣営、いよいよ大詰めです。

11月17日より始まる「袴垂れはどこだ」。
「すみだパークスタジオ 倉」にてお待ちしております。

こでら

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「歌う」の語源は、折口信夫によれば「うった(訴)ふ」であり、
歌うという行為には相手に伝えるべき内容(歌詞)の存在を前提としていることもまた
確かである
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他の見解として、

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徳江元正は、「うた」の語源として、
言霊(言葉そのものがもつ霊力)によって相手の魂に対し激しく強い揺さぶりを与える
という意味の「打つ」からきたものとする見解を唱えている。
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※wikipedia「歌」の項より抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C

音楽監督・後藤さんが劇中の歌詞につけて下さった曲に合わせて、
出演者達が歌うシーンいくつかあります。
村人達が力強く、土臭い感じで歌うものだったり、
少女が一人ひっそりと恋心を綴るようなものだったり。

稽古を重ねるにつれて歌詞や曲と、
俳優の身体が連動するようになってきて色々と発見があります。
「話す」のも「歌う」のも「言葉」を扱うという点では同じですが、
「音楽」的な要素が介在してくる為、やはり俳優の身体の中で別の処理が行われている。
そういった処理過程を広く捉えれば歌もまた芝居のような気もします。
恐らく逆に考える方もいるでしょう。面白いものです。

音楽の持つ深さにどうアプローチしていくか。
俳優の仕事に終わりはないのですね。

こでら

再度年代と絡んでの話題。

1964年とはアングラの雄「状況劇場」が生まれた年と重なります。
正確には、1963年に唐十郎さんが「青年芸術劇場」を抜け、
「シチュエーションの会」を旗揚げし翌年に改名したとのこと。
因みに「青年芸術劇場」とは福田さんが参加されていた劇団。

この数年後、寺山修司さんが「天井桟敷」旗揚げし、
黒テント、早稲田小劇場と合わせてアングラ四天王の台頭。
アングラ演劇の黄金時代突入と相成ります。
実は寺山さんも福田さんと繋がっています。
当時の文化人等が集って結成した「若い日本の会」という社会派運動の団体で一緒だったようです。

皆さん著名な文化人同士ですから出会っていても不思議は無いとは思いますが、
アングラ演劇の源流の中にに全く作風の異なる福田さんがいたとは予想してませんでした。
受け継がれていく歴史と言うものの面白さを感じてしまいます。
日本の演劇史の一端を垣間見ることが出来たような気がして、
ちょっと興奮気味です。

新派→新劇→アングラ(第一世代)→つかこうへい登場(第二世代)→第三世代→現代口語演劇→現在?

門外漢の不勉強さ故、勘違いもあるかと思いますが、
近代の日本演劇の流れは大まかにこうなっているのかなと…。

二つの潮流は境界を生みます。
境界線付近というのは科学的観点から見た場合、
性質の異なる2相の構成要素が互い激しくにぶつかり合うため非常に不安定で、
常にエネルギーが高い場所です。
そういった場所には必ずドラマが生まれます。
福田さんは新劇とアングラの混ざり合いが始まった頃に「袴垂はどこだ」を執筆なされました。
歴史の境界線上で書かれた戯曲の持つ高いエネルギーを稽古の中で感じる毎日です。

こでら

福田さんは、自身の戯曲集のあとがきの中で、
 
 「ぼくはつねに、今日の上演のために作品を書いてきた。
 すなわちそれはどれだけか不愉快な事情に耐え続けることを意味する」
 
 と書いています。
 
 「袴垂れはどこだ」が初めて上演された1964年。
 高度経済成長期の真っ只中で、東京オリンピックが開催された年。
「成長」という名の変化に伴うエネルギーもまた学生運動・安保闘争の呼び水となり、
色々な意味で沸いていた時代。

僕はベビーブームが過ぎたあたりに生まれたので、戦後も安保も実感がありません。
ですが、数年前にここtptで赤軍がテーマのお芝居に出させて頂いた頃に、
学生達が新宿駅をジャックしている映像を見たときはとてもショックでした。
今思い出しても、ザワザワしてしまいます。

福田さんは大学卒業後に一時期新聞記者として働いていた時期があることから想像するに、
興味の方向としてジャーナリスティックなものが有ったのだと思われます。
それは劇作にやはり反映されてくるもので、
政治的な出来事を題材として扱っていることが多いようです。
ただ、今回の「袴垂はどこだ」を含め「真田風雲録」「オッペケペ」等の他作品を読む限り、
政治色の強い出来事はあくまで劇作の題材に過ぎず、
その中で起きる人間のドラマ性を演劇として立ち上げ、
歌や踊りがちりばめられた娯楽性のある作品を作り上げています。

演劇が持つメディアとしての特性は、時には作り手のの意図とは全く異なる反響を呼んでしまう。
当時のそういった活動を行っている人々からも色々とあったのですかね。

こでら

「袴垂れはどこだ」の題名通り、今回の物語は「袴垂れ」なる人物が関わって参ります。
学生時代に国語の授業で習った方も多いかもしれません。
そう、「袴垂と保昌」というお話です。
当時武名が高かった藤原保昌から身ぐるみをはごうとした袴垂が、
逆に保昌より施しを受けてしまうというお話。
袴垂が保昌の弟である藤原保輔(実在の人物で、大分悪い人だったそうな)と同一人物であるという説はここから来ているとか。

他にも「袴垂、関山にして虚死にして人を殺す語」なんてのもあるそうです。
文字を見る限り物騒な感じがしますが、内容もそこそこ物騒。
道端で真っ裸で死んだふりをしている袴垂に不用意に近づいた武家の男が隙を突かれて、
殺されてしまうというもの。

「袴垂」は二つとも共通して凄腕の盗賊として描かれていますが、劇中では、

「虎よりも猛き苛政に苦しむ村の人々を救うであろう」

という義賊的な扱い。
石川五右衛門や鼠小僧みたいなものですかね。
ただどうやら史実として彼等が盗んだ金を貧しい人々に分け与えたという証拠は無く、
後に歌舞伎等の創作過程に於いて、
アンチ権力のヒーロー像となっていったと考えられているようです。
ちょっと残念なお話ですな。

世界中の様々な情報が飛び交う現代だからこそ、

「そんな素敵な泥棒いるのか?」

なんて想像も出来るのでしょうが、
交通機関もろくに発達していなかった昔々ではまた捉え方も違ったことでしょう。
ましてやそれを聞いたのが、

「虎よりも猛き苛政に苦しむ村の人々」

であったらどうなるか?
貧しい寒村にやってきた旅の坊主が村人銘々に「義賊・袴垂れ」の話を残し、
死んでしまうところから物語が始まります。

こでら

 戯曲の旅への一助となれば幸いです。

「袴垂れはどこだ」の作者、福田善之さんについて。

1931年東京都日本橋に生まれる。東京大学仏文学科卒業。
新聞記者、演出助手を経て、劇団青芸を結成。併行して戯曲を発表。
60年代演劇を代表する一人。

1993年『壁の中の妖精』『幻燈辻馬車』で紀伊国屋演劇賞
1995年『私の下町-母の写真』で読売文学賞受賞
1999年『壁の中の妖精』の演出で読売演劇賞優秀演出家賞受賞
2000年『壁の中の妖精』で斉田喬戯曲賞受賞
2001年 紫綬褒章受章。

大衆演劇、人形劇、シェイクスピア、ミュージカルの演出など演劇人としての幅広い活躍だけでなく、
映画シナリオ・テレビラジオドラマ等の執筆も多数。

また、「ウルトラマン」に二度(第19話「悪魔はふたたび」、第22話「地上破壊工作」)、
「ウルトラセブン」にも(第12話「遊星より愛をこめて」)出演。

日本演出者協会評議員。



先日、演出の千葉さんがご挨拶に伺い、
当時の上演に関する裏話など色々として頂いたそうです。
僕達出演者も次の日、千葉さんからお話を聞かせて頂きました。
話しぶりから福田さんの気さくさが感じられます。
学生運動等の1960年代における当時の荒々しい世情と比較されがちな今作品なのですが、
牧歌的な登場人物達のおかげで一見すると喜劇のように描かれていて、
本質的には血なまぐさい物語の描き方にもその人柄が滲み出ている気がします。

こでら

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